和魂誠心

和魂誠心

こんばんは。
我が国の歴史が何年続いているか皆さんはご存知かと思います。皇紀2673年初代神武天皇即位以来、百二十五代、連綿と継承されて来た我が日本の歴史の中で大切な事は何か?それは「和の心」であり、天皇家に繫がる仁の意味なのです。

東日本大震災の時の両陛下や御皇族の皆様の国民への慈愛を見た時に国民みな感動し心を動かされたのです。我が国の誇りを名誉を取り戻す為にも今こそ歴史の真実を知りましょう。
美しい日本の復活を誇り高い民族、大和民族として。

1)日本の国柄と皇室の存在

日本といえば、昔はフジヤマ・ゲイシャといわれた。最近はドラえもん、ポケモンが日本のイメージになったりしています。しかし、日本の伝統や文化をよく知る外国の有識者は、日本の国のほかの国にない特徴として、皇室の存在をよく挙げられます。

現在の天皇は第125代。古代から今日まで一系の皇室がずっと続いています。こういう国は、他にありません。イギリス、デンマーク等の王室は、せいぜい数百年。支那(中国)は、古代から王朝が何度も変わり、いろいろな民族が入って支配してきました。

国柄を具体的に表すものを憲法といいます。英語では、国柄と憲法を一つの言葉で表す。constitution がそれです。
戦後の憲法は、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三原則だと学校では教えているが、本当にそうでしょうか。憲法には、三原則の前に、日本の特徴を表わしているものがあります。本文を読むと、第1章は、天皇と題されています。第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると書かれており、そこに、国柄が表されています。

わが国は、皇室が国の中心に存在し、皇室を中心に国民が団結して、歴史が織り成されてきた。これが日本の国柄の最大の特徴です。この国柄の特徴を学ぶことなくしては、日本の歴史・伝統・文化を深く理解することはできません。

戦後の学校教育は、この点を教えておらず、自分の国のことを知らない青少年を日々作り出しております。海外に出て、日本のことを聞かれて、答えられず、自分が自分の国のことを教わっていないことに気づく若者が多いようです。教育が間違っておるのです。

 

(2)仁と「おほみたら」~神武天皇の詔

では、こうした国柄を持つ日本に伝わってきた心とは、どういうものか。
昨年、皇室に実に40年ぶりに、男のお子様が誕生された。悠仁様と名付けられました。お名前には、「仁」という文字が使われています。明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上陛下、皇太子様、秋篠宮様等、みな「仁」がお名前についております。皇族男子は、お名前にみな「仁」という文字をつけています。これは平安時代からの伝統だといわれています。このことは、皇室が「仁」ということを非常に大切にされていることを表わしています。「仁」は、いつくしみ、思いやりを意味する言葉なのです。

「仁」のルーツは、はるか歴史をさかのぼります。
小学生に最初の天皇は誰かと聞くと、推古天皇、仁徳天皇などと答えるようです。初代は、神武天皇ですが、教科書に載っていません。だから子どもたちは、最初の天皇の名を知らないのです。
神武天皇は、一説によると2667年前に、奈良県橿原(かしはら)の地で、最初の天皇の位についたとされ、そのとき、「橿原建都の詔」を発したとされます。その詔(みことのり=天皇のお言葉)の中に、国民を意味する言葉として「民」「元元」という文字が出てきます。これらの文字は「おおみたから」と読み、かけがえのない宝物と言う意味です。神武天皇は、国民を宝物のように大切に考えました。ここに「仁」のルーツがあります。

「橿原建都の詔」には、次のような部分があります。
「六合(くにのうち)を兼(か)ねて以(も)って都(みやこ)を開(ひら)き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為(せ)むと、亦(また)可(よ)からずや」
これは、「国中をひとつにして都をひらき、天の下を覆ってひとつの家とすることは、また良いことではないか」といった意味です。
国中が一つの家族のように暮らせる国、世界中が一つの家族のように暮らせる世界をつくりたいーーそれが、日本建国の理想です。この建国の理想を一言で表す言葉が、「八紘一宇」である。八紘一宇は、日本がアジアを侵略するスローガンのように誤解されているが、東京裁判では、なんら侵略的な意図のない言葉だと確認されました。英語ではuniversal brotherhoodと訳される。人類みな兄弟という意味になります。

他の国では、国王・皇帝は、自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。それゆえ、それに恨みを抱いたものが、政権を奪い、新たな王朝を立てる。それを繰り返してきました。
それに対し、日本では、建国の理想のもとに、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持ってまつりごとを行ったそうです。国民はこうした天皇の御心に応え、天皇をわが親のようにしたい、天皇を中心として国民が家族のように結び合って生活してきた。だから、神話の時代から21世紀の今日まで、一系の皇室が125代も続いているのです。

こうしたわが国では、各家庭にあっては、親は子供を愛情を持って育て、子どもは、親が年を取って弱ってもどこまでも大切にします。夫婦は、男女の特長を認め合い、欠点を補い合って、和を心がけます。また祖先を大切に祀り、子孫の幸福・繁栄を願う。そうした家庭が寄り集まって、一つの国をなしています。社会にあっては、人々が助け合い、共存共栄を心がけ、海外の文化も積極的に取り入れて、固有のものと調和させてきました。その国全体の要に皇室があり、国民は皇室を中心として団結して生活するのです。
これが、日本のもともとの姿であり、これこそ、日本人が世界に誇ることのできる国柄であり、その心です。

 

(3)「わ」の国の「和」の精神

わが国の国名は、日本(にっぽん)という。「日(ひ)の本(もと)」の国、つまり太陽のもとにある国、太陽が昇る国を意味する。それを旗に表したのが、「日の丸」である。国名と国旗が深く結びついています。
もっと古くは、国名を「わ」と言ったらしい。「わ」は、「輪・環」を意味する言葉だ。シナ人に、お前の国の名はなんと言う、ときかれて、「わ」と言うと答えたのだろう。それで支那人が、「倭」の文字を当てのです。「倭」は、背が曲がってたけの低い小人をいい、日本人の先祖は、この字を嫌って、「和」の字を当てた。また国の中心、都を表わす「やまと」という地名に「大和」の文字を当てた。「大和」を「やまと」と読むのは、まったくの当て字です。日本人の祖先は、それほど「わ=和」を重んじたのだと思います。

こうした和を重んじる考え方を理念として表現したのが、聖徳太子である。約1400年前、推古12年(604)に太子は、十七条憲法を制定し、太子は、その中で「和の精神」を説きました。また同時に、わが国のあり方、国柄を表現したのです。
憲法第一条は、「和をもつて貴(とうと)しとなし…」という言葉で始まる。「和をもつて貴(とうと)しとなし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。(略)上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事(こと)を論(ろん)ずるに諧(かな)うときは、すなわち事(じ)理(り)自(おのず)ら通(つう)ず、何事(なにごと)か成(な)らざらん。」とある。「お互いの心が和らいで協力するのが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。(略)人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない」というような意味であり、太子は、「和」という言葉で、単なる妥協や融和を説いているのではない。「人々が調和すれば、道理にかない、どんなことでも成し遂げられる」という積極的な理念を説いているのです。

また、太子は続く条文において、「和」を実現するための心構えを説いている。すなわち、第十条では人への恨みや怒りを戒め、第十四条では人への嫉妬を禁じている。第十五条では「私(わたくし)」を超えて「公(おおやけ)」に尽くすように説いています。そして、最後の第十七条には、「独り断ずべからず。必ず衆とともに宜しく論ずべし」と記されている。「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである」と伝えられています。

聖徳太子の「和」の精神は、一般に調和が大切という程度の意味と思っている人が多い。しかし、聖徳太子が説いたのは、「天皇を中心とした和の精神」である。ここをしっかり把握したい。
第三条に「詔を承りては必ず謹(つつし)め」とある。天皇からお言葉を頂いたら、謹んで受けよというのである。太子は、豪族・官僚たちに天皇の言葉に従うように記している。
第十二条には、「国に二君なく、民に両主(ふたりのあるじ)なし。率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以って主(あるじ)となす」とある。ここにも「おほみたから」が出てくる。国に二君はなく民に二人の君主はいない。国中の民は、天皇を君主とする。国民統合の中心は、天皇であることを明記している。
第十五条には「私に背きて、公に向(おもむ)くは、是れ臣(やっこ)が道なり」とある。私の利益を超えて公のために向かって進むのが、臣下たる者の道であると説いている。
ここに日本における天皇と国民のあり方が示された。さきほど国柄を具体的に表すものが憲法だと言ったが、十七条憲法は、日本の国柄を表現している。

こうして太子は、天皇を中心として国民が統合された国のあり方を、理想として打ち出した。神武天皇の理想を受け継いだものといえる。
太子の理想は、大化の改新や律令制において追求された。その後、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉など有力者がいろいろ出たが、誰も皇室をおかして成り代わろうとする者はなく、皇室は一貫して存続してきた。
19世紀半ば過ぎ、幕末に、欧米列強が押し寄せ、民族存亡の危機に直面した。このとき全国各地で草莽の志士達が立ち上がった。吉田松陰、西郷隆盛、坂本竜馬らだ。彼らは、天皇を中心とした新しい国づくりをめざした。

 

(4)五箇条のご誓文と教育勅語

明治維新にあたり、明治天皇は、五箇条のご誓文を発せられた。ご誓文は、近代国家日本の出発点において、国是つまり国家の根本方針を示したものである。
第一条には「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第二条には「上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行ふべし」とある。天皇を中心に仰ぐ新しい国を作ったところ、天皇は、国民に対して、広く会議を行なって、何でも話し合って決めたい、身分の上下に関係なく、みな心を一つにして国づくりを進めたいと言っている。ここにも聖徳太子の「和の精神」が表われている。また、神武天皇の国民を「おほみたから」と思う心や「八紘一宇」の理想が生きていることがわかるだろう。

「五箇条の御誓文」というと、五箇条だけと思っている人が多い。教科書には、五箇条しか載っていない。しかし、実は五箇条の下に、重要な言葉が続く。明治天皇の誓いの言葉である。その中に「万民保全の道」という言葉がある。国民すべての安寧を実現する道ということである。天皇は、国民すべての安寧を実現することを、天地神明に誓う。そして、国民には、協力・努力して欲しいと呼びかけている。それが、五箇条のご誓文である。

次に、明治23年に、明治天皇は、教育勅語を発せられた。教育勅語は、日本の国の国柄とその心を表わし、これを教育の根本にすえたものである。
冒頭に「朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇(こう)祖(そ)皇(こう)宗(そう) 国を肇(はじ)むること宏遠に 徳を樹(た)つること深厚なり」とある。皇祖皇宗とは、皇祖が天照大神、皇宗が神武天皇と解するのが有力な説である。皇祖皇宗つまり皇室のご先祖が、国を始めたとき、徳というものを立てましたというのが出だしの意味である。その徳とはなにか。これが先ほど述べた「仁」である。天皇が国民に対し、いつくしみ、思いやりを持ってまつりごとを行なうことである。
こうした天皇の御心に応えて、国民は、君に忠、親に孝を実行してきたと勅語は言う。それが「我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に」の意味である。
忠とはまごころを意味する。まごころをもって、天皇に仕えることを、君に忠という。親に孝とは、子どもが親を大切にすることをいう。このようにして、国民が忠孝を実行してきたことが、日本の国柄の最も美しいところだと勅語はいう。
勅語は、それを、教育の根本にすえようと言っている。「億兆心を一にして 世々厥(そ)の美を際済(な)せるは 此(こ)れ我が国体の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す」というのがその部分である。

勅語は、続いて、家庭における道徳、社会における道徳、国民としての道徳を具体的に説く。それは、学校教育だけでなく、家庭教育の指針ともなっていた。だから戦前の世代の日本人は、うそをつかない、約束を守る、よく働く、みなで助け合うなど、外国人も驚くような立派な国民性を持っていた。

 

5)市民活動と治安の本質について考える。

初等教育の拡大と、大規模製版技術の出現から広がった情報・言論の大衆化、その中で生まれたサロンの拡大から、大きなうねりを見せることになった大正デモクラシー以来、一時ラジオやテレビなどで発信者側に有利な流れが続いていた世論ですが、インターネットによる相互情報化社会の中で、再び幅広い市民活動が普及し、多種多様な争議が「見える」時代となったように感じます。

そうした中で、議論そのものを排斥するという意見も散見されるようになりました。視点が違う事によって生じる論争に対して、ひとまず俯瞰して勘案することも大切なので、少し雑考してみます。

北朝鮮は拉致被害者の方たちを政治的な交渉に利用できる人質として扱っているとしか思えませんし、韓国の方も中国の方も、自分たちの国の味方かどうかで行動を制限するかしないかを決めているように見受けます。対して日本側は先にあげた方たちをそこまで厳格に扱ってません。

たとえば、拉致事件が起きたという事実に基づく抑止の考え方で行けば、目が行き届かないまま、警察行政に棚上げにされてきた特定地域の問題は、やはり深刻だと思います。平行線によって生ずる境界線闘争が国内でも生じているということは、専守防衛の限界と言ってもよい状況です。

また、外国人の無許可政治活動も主権侵害を禁ずる外交ルールや、国内の公安行政からの指導からあの手この手で外れることが目についてきてますし、文化財の盗難や政治家によるデモンストレーションもエスカレートしている事も事実です。

問題の本質は目に見えるところより、国家のボーダレス化やイレギュラーを緩く受け止めてきた中で起きるべくして起きている、外交・治安の質の低下にあるとも思います。

振り返って、そのストレスによって、日本人がどのような人とも上手に接する「和の心」を軽視してしまうことについても非常に憂慮しています。表情や言葉を発すること、より広範には「脳の指令で筋肉を動かす事」以外の方法で、他者の心の内は推し量ることはなかなかできません。

コミュニケーションの不足から生じた行き違いと、それを利用する計画的な行動は、コミュニケーションを前提とする分、計画的な行動に分があるのは自明であり、これが攻守のバランスを保ちうれば、日本国民の和の醸成に大いに役立つとは思います。

問題は、国という現状もっとも理想的な範囲より大きな和を性急に求めたり、より小さな和で良しとしたりすることで、和の概念は常に揺らぎ続けているということ、個々の感情で、その議論を断絶させてしまうことにあるのではないかなと感じます。

日本人とは、自然に対してしなやかに対応し、力強く共存し、その和を範として受け継いでいく人々であってほしいと願います。そのために欠けてしまった部分は、先人たちの残してくれた歴史を振り返ることで補い、大和民族が根源的な理想とする真の意味での和の心を大切にしていきたいものです。